top of page

2024.1.14説教要約 ローマ 1:18-32「目に見えない神の性質」  

  • 2024年9月11日
  • 読了時間: 2分

相手に勝ろうとするとき、分裂が起こります。どちらが正しいか、どちらが優れているかという議論は、真の和解の道にはなり得ないのです。パウロは、だからこそ、まず和解を説くに当たって、わたしたちの罪の姿を浮き彫りにします。

全能なる神さまを前にしたときに、わたしたちは皆等しく、自分が愚かで、弱い存在であることを認識することでしょう。それは、キリスト教やユダヤ教に限ったことではないはずです。山や川、雲や雷、太陽や月を見て、そこに何らかの神性を感じるアニミズム(自然信仰)にも、自分より大きな力を畏れる感覚は共通しているはずです。パウロはおそらく、宗教においても優劣をつけることを望まなかったのでしょう。どの宗教においても、神的な存在を認識し、畏れることが基本となっていること。そして、人間がそういった存在を前に無力であり、無知であることは同じなのだと考えたのでしょう。

神さまの創造のわざの詳細、その全てを知ることは人間にはできません。しかし、それを知っているかのようにふるまうことで、わたしたちは自ら神に代わる者となり、自分を偶像化してしまうのです。勝ち誇ることではなく、まず神さまを前に自分は罪ある者であると認めること。互いがそのような存在であることを認めることによって、わたしたちの前には和解の道が開かれるのです。わたしたちの前で小さくなり、謙りの十字架への道を歩まれたキリストに従っていきましょう。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.5.17説教要約 エフェソ 2:14-22「わたしたちは主の住まい」     井上創牧師

パウロはエフェソ教会の中に起こった対立・分裂の危機に対して、和解を勧めるためにこの手紙を書いたのでしょう。それでは、どのようにして異なる思いを抱く者たちが一つになることができるのでしょうか。  パウロの語っていることをよく聴いてみると、まず二つのものが一つになってから、「敵意を滅ぼす」「律法を廃棄する」「平和を実現する」という順番になっていることがわかります。敵意が消え、対立の原因になっている律法

 
 
 
2026.5.10説教要約 ヨハネ 20:24-31「わたしの神よ」          井上創牧師

イエスさまが復活して弟子たちのところに来たとき、トマスだけがその場にいませんでした。後になって、復活したイエスさまに会ったと仲間たちに聞かされたトマスは、「わたしは決して信じない」と口にします。しかも、「この指を釘跡に入れ、この手をそのわき腹に入れてみなければ」と。  これは本気で言っていたわけではないでしょう。実際にそういうことがしたかったのではなくて、自分のいないときに来たイエスさまに腹を立て

 
 
 
2026.5.3説教要約 マタイ 11:25-30「幼子を待つ」           井上創牧師

イエスさまは神の国の秘密について、神さまはそれを「幼子のような者にお示しになりました」と語ります。知恵ある者、賢い者が自分の力で難局を乗り切ろうとするのに対して、この「幼子のような者」とは、親を信頼する子どものように、神さまを信頼して委ねる者を意味しているのではないでしょうか。そのような者たちにはこの世界で起こるさまざまな事柄の中に神さまの御業を見出すことができるのでしょう。  この世界には自力を

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page