2025.1.5説教要約 ヨハネ 16:16-24 「イエスを見る」
- fujimikougenchurch
- 1月28日
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イエスさまは弟子たちに「しばらくするとあなた方はわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」と言いました。これは、イエスさまの復活について言っているのでしょうか。それとも、再臨についてでしょうか。
わたしは、これは「礼拝」について言っているのだと思いました。礼拝とは、神さまから心が離れて過ごしてしまった毎日から戻って来て、イエス・キリストを通してもう一度神さまと出会うためのものです。わたしたちの悲しみは、神さまから離れて自分の試み、願いが失敗に終わったときに生まれてくるのでしょう。それが、神さまのもとに戻り、すべてを委ねて、御心が働くことを信じるとき、そこに喜びが生まれてくるのです。
とすれば、礼拝において重要なのは、そこに「イエスさまが共におられる」ことを実感することができるかどうかにあるのではないでしょうか。聖餐式は、このための大切な役割を果たしています。聖餐式は、まさに時間と空間を超えてイエスさまがわたしたちの目の前に現れて、パンを裂くのだという実感をわたしたちに与えるためのものでもあるのです。
イエスさまは「わたしの名によって願いなさい」と言います。これは、イエスさまこそが天と地をつなぐ道だからです。そしてこれは、名を呼ぶことでイエスさまがまさにここにいるのだと実感するためでもあるのではないでしょうか。イエスさまの名を呼ぶ礼拝を通して、わたしたちは神さまを見るのです。
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