重い皮膚病を患っている十人に、イエスさまは「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と言います。当時は、このような病気にかかって治ったとしても、祭司たちがそれを確認し許可しなければコミュニティーに帰ることはできない決まりになっていました。十人は、自分の体が治るのを待たずに、イエスさまの言葉に信頼して、祭司たちのところに向いました。その途上で、この十人の病はいやされたのです。
自分の変化に気が付いた一人のサマリア人がイエスさまのところに戻って来ました。喜びのあまりに大声で神さまを賛美しながら。イエスさまはこの人に言葉をかけます。「あなたの信仰があなたを救った」。さて、それでは戻ってこなかった他の九人とこの人とは何が違ったのでしょうか。
わたしたちも困難な状況に置かれたときには、神さまに「憐れんでください」と祈るのではないでしょうか。神さまはきっとその祈りに答えてくださると信じ、委ねて歩むとき、わたしたちには道が示されます。さて、しかしそれが「救われた」ということかと言えば、そうではないかもしれません。
課題が解決されることではなく、神さまを賛美する者へと変えられて、イエスさまのところに戻ってくる。そして、そこから「立ち上がって、行きなさい」と遣わされていく。その営みの中にこそ「救い」があり、それがわたしたちの礼拝によって表現されていくのではないでしょうか。
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