1942年6月26日早朝、ホーリネス系の教職者96名が逮捕された。これが、第一次検挙である。1943年4月に第二次検挙が行われて、日本基督教団に併合されていた第6部(旧日本聖教会)60人、第9部(旧きよめ教会)から62人、妥協して教団に加わらず宗教結社であった東洋宣教会きよめ教会12人、合計124人が逮捕された。これを受けて教団は、「軽々しき行動を慎み、暫く成行きを静観すること」「皇国民たるの自覚に立ち、臣道の実践を志すことを求めた。
裁判が行われ、134人の検挙者のうちの75人が起訴され、最終的に、菅野鋭、斉藤保太郎、辻啓蔵、小出朋治(獄中での死亡順、竹入高、池田長十郎、佐野明治(出獄後死亡)らが獄死した。
1943年4月、文部省は宗教団体法に基づき、第六部と第九部の、教会設立認可の取り消し処分と教師を辞任させるように、日本基督教団の富田満統理に通知した。これを受けて、日本基督教団は、獄中にある教師と家族に、教会設立認可の取り消しと、教師の自発的な辞職を求める通知を行った。そして、日本基督教団内のホーリネス系の教会は強制的に解散させられた。
当時の日本基督教団財務局長は、「結社禁止は当然の処置であるとおもう。日本においてキリスト者が再臨問題をとりあげて説くことがそもそもの間違いである。」と述べた。富田統理はホーリネスの学的程度が低いからだといって弁明した。
1984年、日本基督教団は、当時の誤りを認めて、関係者とその家族を教団総会に招いて公式に謝罪した。第六部と第九部の牧師と遺族が、52人が出席した。
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