原初の教会において、「キリストの復活とはどのようなものだったのか」ということが度々話題になり、議論が重ねられてきました。当時の科学や常識においてさえ、死者が生き返ることはあり得ないことでした。これをどのように説明したらいいのか、教会は頭を悩ませてきました。ある人は「体は死んだままで霊だけよみがえったのだ」と言い、またある人は「死んだように見えただけで、実際は死んでいなかった」と言いました。しかし、教会は「死者の体がよみがえった」とはっきりと告白することを決断しました。
それは、体にはわたしたちの生きてきた証が刻まれているからです。さまざまな失敗を重ね、神さまに対して言い逆らったことで傷を負い、あちこちをすり減らしながら歩んできた「わたし」。喜ばしさに満ちあふれる部分もあれば、捨ててしまいたい惨めな部分もある。そういう「わたし」の年月が体には刻まれ、染みこんでいます。神さまはそういうわたしたちを、丸ごと復活させ、ご自身の前に立たせようとしておられるのです。
もし、わたしたちが復活の際にあらゆる汚れを除かれ、傷を癒されるのだとしたら、唯一無二の「わたし」として歩んできたその跡も消えてしまうことでしょう。復活して弟子たちの前に傷ついた体のまま現れてくださったイエスさまのように、わたしたちはこの体に刻まれた日々の全てをもって復活するのです。「わたし」である部分はそのままに、長年歩んできたこの体が復活するのです。
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