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7月7日説教要約

  • 2019年7月19日
  • 読了時間: 2分

わたしたちはこの世界で迷子になります。

進む道がわからなくなることもありますし、目的地を見失ってしまうこともあるでしょう。

それでも心配はないのです。道を知っている人、目的地を定めてくれるお方に目を向ければいいのです。

その方とはぐれさえしなければ、どの道を行くべきか、どこへ向かうべきか。そんな心配はしなくてもいいのです。


わたしは、教会に遣わされるようになってから、年を取るということ、年を重ねていくということについて、いろいろと考えるようになっていきました。

特に、最近は認知症についてよく考えています。

今考えているのは、わからなくなっていくこと、認知能力が変化していくことは、自分の力でぎゅーっと握っていたものを手放していくことなのかもしれないということです。


わたしが判断し、わたしが評価し、わたしが裁いてきた。

それをやめて、そういうことを神さまにお返ししていく。

なかなかできないのです。人間は誰しも自分の力に頼ろうよとしてしまうから。

でも、あらゆる力を神さまに返していくのは、罪からはどんどん遠ざかっていくこと。

そうなのではないでしょうか。


そして、嬉しいことに、わたしたちの飼い主はわたしたちを見つけてくれる。

どれほど迷子になったような気持ちでいても。

 
 
 

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