ルカ17:11-19
「十分の一の信仰」 井上創牧師
清くされた十人の内、イエスさまのもとに戻ったのは一人だけでした。
他の九人は感謝してはいたかもしれませんが、
それでもユダヤ社会に戻っていくことを選んだのでしょう。
わたしたちも、所属しているコミュニティー、社会へと気持ちが引きずられることがあります。
教会よりも、会社や近所づきあいを優先する。そういうこともあるでしょう。
そして教会もまたひとつの社会であるので、その社会とどう向き合うか、注意する必要があるのかもしれません。
教会という組織や、そこに集う人にばかり心を奪われると、本来わたしたちが求めるべきことを忘れてしまったりすることがあるかもしれないからです。
集うのはやはり弱い人と人。
うまくつながることもできないこともありますし、むしろお互いの有り様が相手を傷つけてしまうことさえあります。
そのとき、わたしたちの多くは(九割?)その「人の行い」に心を奪われてしまうのでしょう。
しかし、そのような人の行いや思い、それらが混じり合う社会の中で起こるさまざまな出来事の向こう側に、神さまの思いがあることに気がつくことができたらと思うのです。
清くされた一人の人は、神さまを賛美するために戻って来たとあります。
わたしたちが本当に求めるべきは、神さまが賛美されること。
わたしたちの交わりを通して、そこに愛があるのだと、世に伝えていくことなのではないでしょうか。
#主日礼拝 #説教要約
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