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2026.3.1説教要約 ルカ 19:1-10  「救いがこの家を訪れた」      井上創牧師

3月8日
読了時間: 2分

 ザアカイは木に登ってまでもイエスさまを見たいと願いました。一つ前の物語、目の見えない人が周囲の制止を振り切ってイエスさまを求めて叫び続けた心情と重なるように思えます。ザアカイもまた自分の在り方に揺らぎを覚え、心の奥底では助けを求めていたのではないでしょうか。

 ザアカイはイエスさまから「あなたの家に泊まりたい」と言われたときに喜びます。地位の高い人や高名な人が集落を訪れたとき、その人を泊めるのはその集落の最も豊かな家であったからです。徴税人としてみんなから嫌われていて彼は、しかし、そうして築いた富を用いてこそ貴人をもてなすことができるのだと誇りに思ってさえいたことでしょう。

 しかし、ザアカイはその富を手放すことを誓います。そのきっかけとなったのは、「罪」を自覚したことでした。「あの人は罪人と共に食事をしている」。人々の言葉によってザアカイは気が付きます。自分は罪人であること、そして、救い主はその自分の隣に来てくださったこと。善い人間となったから、来てくださったのではない。罪人のまま、そのままのわたしの隣に寄り添ってくださる方がおられるのだということに。

 「救いがこの家を訪れた」との宣言は、イエスさまが来られて、わたしたちの主人が「富」から「神」へと入れ替わるということです。「力を捨てよ」という言葉に従って、礼拝の中で、わたしたちも富や力にすがる生き方を変えていただきましょう。

 
 
 

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