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2026.2.15説教要約 ヨハネ 11:17-27「このことを信じるか」       井上創牧師

3月8日
読了時間: 2分

 亡くなったラザロの姉妹であるマルタは、「死者が終わりの日に復活する」という教えを知っていました。「イエスさまが神さまに願うことは、かなえられる」ことも知っていました。おそらく、マリアも知っていたでしょう。しかし、実際に兄弟の死を前にしたとき、彼女たちの心は悲しみに支配されていました。そこでイエスさまはマルタに問うのです。「信じるか」と。

 わたしたちは証拠を見せられたり、証明してもらえれば、安心して物事を受け入れることができます。しかし、不確かなことや、科学的ではないことについては懐疑的になってしまうのではないでしょうか。イエスさまが復活であり、命である。そのことを証明できるでしょうか。その証拠はあるでしょうか。

 教会ではそう言われているということを「知っている」だけでは、わたしたちは諸々の誘惑、中でもその最たる死の前では無力なのです。「信じる」とは、強く願うこと、心から求めることです。パウロが言うように、「復活がないとしたら、わたしたちのなしていることは全て虚しい」と、不確かなことを不確かなままに、そこに自分を委ね、投げ出していく。それが「信じる」ということなのでしょう。

 イエスさまは、わたしたちが信じることができるように、ラザロをよみがえらせ、同じようにわたしたちの日常の様々な場面も奇跡で彩ってくださっています。そこに神さまの力が働いていると信じるところに、奇跡はいつでも満ちているのです。

 
 
 

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