2026.8.30説教要約 ルカ 18:1-14 「憐れみを求める」 井上創牧師
1節からの一つ目の話には、子どものようになることと、子どのようなものを受け入れることという二つの主題が語られていました。前者は個人の信仰に関わること、後者は教会の務めに関わることだと言えるでしょう。
6節からの二つ目の話では、個人に対し、あるいは教会に対してもたらされる「つまずき」について語られています。つまずきとは、わたしたちを神さまから引き離そうとする試みのことであり、わたしたちが神さまを疑い、神さまの造られたこの世界への信頼を失ってしまうことを意味しているのでしょう。
そうであれば、4節の「子どものように自分を低くする」とは、赤子が全き信頼をもって親に身を委ねるように、自分の力を捨て、すべてを神さまに委ねて任せ切るという姿勢のことなのではないでしょうか。
わたしたちをつまずかせる事柄は世にあふれています。戦争や災害、病や人間関係など。「なぜわたしが」「神さまはなぜわたしをこんな目に遭わせるのか」。そういう嘆きと、戸惑いと、疑いの傍らに、キリストの十字架が立てられています。「父よ、なぜわたしをお見捨てになるのですか」という叫びを、地の底、死の淵まで共にしてくださるために、主は十字架についてくださったのです。つまずいたわたしたちが自力で戻ることができないとしても、神さまのもとから遣わされた羊飼いであるイエスさまがどこまでも探しに来てくださるのです。
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