2026.10.4説教要約 使徒 20:7-12「ここに命がある」 井上創牧師
パウロが話をしている最中に眠りこけてしまった青年がいました。この「眠り」とは何を意味しているのでしょうか。
イエスさまは度々「目を覚ましていなさい」と語ります。この「眠り」は「罪への誘惑」とも受け取ることができるかと思います。神さまのことを忘れ、肉体的な欲望に負けてしまうわたしたち。自己中心に生きたくなるわたしたちの性を「眠り」と表現しているのです。
また、「眠り」は死を連想させます。教会でも天に召された方々を「永眠者」と呼んだりします。パウロは、罪によってもたらされるのが死だと言っています。
この青年の眠りと死の前後にパン裂きが描かれています。これは初代教会から現在まで、礼拝によって紡がれてきた教会の歴史の中に、度々痛ましい出来事が起こってきたことを意味しているのではないでしょうか。宣教の歴史を紐解けば、それを使命としてきた人たちは、豊かな実りを得ることもあれば、多くの困難の中で殺害されることさえあったのです。それでも、パン裂きは繰り返されてきました。
パウロの「まだ息がある」という言葉は、「そこに、息(命)がある」とも訳せます。宣教の歴史の中で、教会は「ここに失われたはずの命がある」「死によってすべてが虚しくされることはないのだ」と礼拝の中で語り続け、呼びかけ続けてきました。その希望が今も受け継がれ、広がり続けているのです。
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