2026.8.9説教要約 ヨハネ 6:1-15 「みんなでごはん」 井上創牧師
この日は過越祭に近い日だったと書かれています。新約聖書において、過越祭はイエスさまが十字架についた時でもあります。このため、今日の5千人の給食の物語は、イエスさまと弟子たちの最後の晩餐の物語と並んで、聖餐式のモデル、つまりミサ(礼拝)の原点の一つとされています。
イエスさまがなさったしるしを見た人々が集まってきます。この群衆を前に、イエスさまは弟子たちに「この人たちを食べさせるには、どこでパンを買えばいいかと問います。フィリポは余りの人数の多さに、とても賄えないと諦めてしまったようです。アンデレも、一人の子どもをイエスさまのところに連れて来ながらも、その持つものでは「何の役にも立たないでしょう」と、諦めてしまっています。
礼拝とはまさにこのように、自分たちの生きている困難さの中に解決を見出せない状況を前提としているのではないでしょうか。そこに神さまの力が働きます。
イエスさまは人々を草の上に座らせます。わたしたちがイエスさまを羊飼いとして仰ぎ、青草の原へと導いていただき、そこで膝をかがめるとき、イエスさまは感謝の祈りを唱えてパンを裂き、それを与えてくださるのです。
献げられたものはいかに乏しくとも、わたしたちの諦めを超えて、イエスさまの裂かれた御体は、集ってくる人を超えて更にその向こう側までも、豊かに行き渡っていくのです。
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