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2026.7.5説教要約 Ⅰコリント 3:10-22 「あなたがたが神殿」        井上創牧師

7月12日
読了時間: 2分

 わたしたちはイエス・キリストを土台にして、それぞれに建物を建てていきます。これらは金でできていたり、藁でできていたりしますが、それらは優劣がつけられるものではありません。たとえ、わたしたちが日々積み上げていく証しが燃え尽きて、消えてしまったように見えても、それがキリストを土台としているのであれば、火によって精錬されたもののように、その救いは確かなものとして残るのです。

 なぜなら、わたしたちが建てるものは、神さまの神殿だからです。列王記上8章のソロモンの祈りによれば、神殿とは神さまが住まうところというよりは、神さまがそこに名を置くところ、神さまがそこに目を注ぐところであるようです。洗礼によって、わたしたちには霊による交わりが与えられ、魂にしるしが刻まれ、いつも見守りの中に置かれるようになるのです。

 この神さまの霊が注がれている神殿を前にして、わたしたちは誠実な祈りを捧げる者となります。もう互いの優劣のために自分を欺かずに、わからないものを「わからない」として、神さまに委ねていくことができるようになるのです。

 21節に「すべてのものがあなたがたのものとなる」と言われています。これは、わたしたちが全てを所有するということではありません。聖書の物語や登場人物、その行いや言葉、この世界で起こるすべてのものを材料として、わたしたちはキリストの証しを建て上げていくことができるということなのです。

 
 
 

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