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2026.6.14説教要約 マタイ 4:1-11 「イエスさまにたよりましょう」   井上創牧師

7月12日
読了時間: 2分

 誘惑とは、目標に向って進もうとするわたしたちを邪魔するもののことです。減量を目標にする人にとってはお菓子が誘惑になり、テストでよい点を取ることを目標にする人にとっては、楽しいテレビ番組が誘惑になったりするわけです。

 それでは、聖書において目標とされることは何でしょうか。それは、神さまから離れずにいることです。一緒にいてくださる神さまから離れていってしまうのが、わたしたち人間の罪であり、目標を邪魔する誘惑をわたしたちのところに持ち込むのが悪魔なのです。

 神さまの子どもであるイエスさまは、罪のない方でした。つまり、いつも神さまと一緒にいる方だったのです。しかし、敢えて荒れ野に向い、飢えと孤独の中に身を置き、誘惑を体験されました。こうして、わたしたちはイエス・キリストによって罪の誘惑から解き放たれる道を見ることになるのです。

 悪魔によってもたらされた三つの誘惑はどれも、自分自身の力を過信することで神さまから離れていくようにとイエスさまをそそのかしました。「自分の知恵や力に頼ろうとする罪の力」がイエスさまを襲います。しかし、3回ともイエスさまは聖書の御言葉によってこの誘惑を退けます。これが誘惑に打ち勝つ道で道でした。神さまから離れそうになるわたしたちをつなぎとめるのは聖書の御言葉であると、イエスさまは御自身の体験を通して、わたしたちに教えてくださっているのです。

 
 
 

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