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2026.6.21説教要約 ルカ 18:35-43 「見えるようになりたいのです」   井上創牧師

7月12日
読了時間: 2分

 連れてこられた盲目の物乞いにイエスさまは問います。「何をしてほしいのか」。これは、「わたしに何ができると信じているのか」という意味なのではないでしょうか。つまり、わたしにとってイエスさまはどのようなお方なのかという、信仰の告白が求められているのです。

 既に盲人はイエスさまを「ダビデの子」と呼んでいました。これは、一般的な、そして伝統的なメシアに対する尊称です。しかし、イエスさまが救い主であることを知っているだけでは不十分なのです。それだけではなく、あなたが「何をしてほしい」と願いたくなるお方なのか。あなたの人生においてどのような存在として受け止めているのか、という告白が必要なのです。

 「見えるようになりたいのです」と盲人は答えます。これは単なる要求ではありません。「あなたはそれがお出来になる方」「あなたはわたしの目を開く方」という実存をかけた信仰の表明です。イエスさまはこの信仰がその人を救ったと告げます。

 どんな名医も、名牧師も、助かろうとしない人を助けることはできません。どうしていいかわからなかった人に、助かろうという意志が与えられて、イエスさまこそがそれをお出来になる方だという信仰を告白することで、イエスさまは「よろしい、見えるようになりなさい」と手を添えてくださいます。

 イエスさまの御言葉は、混沌の中に秩序を与え、新しい人として整えられていくための「創造の言」なのです。

 
 
 

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