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2026.6.28説教要約 マタイ 16:13-20 「岩の上の教会」          井上創牧師

7月12日
読了時間: 2分

 イエスさまは言いました。「シモンよ、あなたはペトロ(岩)。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」。この言葉に基づき、カトリック教会は初代の教皇はペトロであるとしています。天の国の鍵とは、罪の赦しを与える権限であると考えられ、やがて教皇には絶大な権力が集中していくこととなりました。

 しかし、宗教改革によって生まれたプロテスタント教会は、このような権力の集中に至る「伝統」に疑問を唱え、「聖書のみ」という考え方、つまり一人一人が自由に御言葉の聞こうとする姿勢こそが大切であると説きました。

 イエスさまが「人々はわたしを何者だと言うか」との問いに、弟子たちが「ヨハネ、エリヤ、そして預言者です」と答えたのは、旧約聖書の伝統を重んじるユダヤ教においては模範的な回答です。しかし、イエスさまは「それではあなたがたはわたしを何者だと言うのか」と重ねて問います。伝統を重んじつつも、各々の信仰の有り様が問われているのではないでしょうか。

 「あなたはわたしの救い主、生ける神の子です」。この大正解の回答に、イエスさまは「あなたにその告白をする信仰を与えたのは神さまだ」と告げます。ペトロは多くの人間的な弱さを抱えていました。それでも神さまに助けていただいて、信仰の告白へと導かれたのです。このような一人一人の告白の上にこそ、イエスさまは「教会を建てる」と言ってくださっているのではないでしょうか。

 
 
 

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