top of page

2026.7.19説教要約 ルカ 20:9-19 「ぶどう園の農夫」         井上創牧師

  • 7月29日
  • 読了時間: 2分

 律法学者たちも祭司長たちも、自分たちは民衆の味方であり、神さまのために働いているのだという思いがあったことでしょう。だから、イエスさまのたとえ話を聞いたときには「わたしたちは農園の主人の僕としてたとえられている」と思ったのではないでしょうか。また、民衆はたとえ話の結末に気を取られ、ぶどう園の収益と権利が他者に奪われることに対して「そんなことがあってはなりません」と言っているのではないでしょうか。

 イエスさまがこのたとえ話に続けて引き合いに出された聖書の言葉は一見すると「ぶどう園の話」とは関係がないようにも思われます。しかし実は「捨てられた石」と「外に放り出された主人の息子」が関連付けられ、そこに焦点が絞られています。このことに気が付いた律法学者や祭司長たちは、自分たちが僕ではなく農夫として語られていたことを悟るのです。

 現代のわたしたちにとって、このぶどう園は世界そのものと言えるかもしれません。環境を破壊し、自然から搾取し、神さまの作られた世界を自分たちのものであるかのように取り扱う。そんなわたしたちへの警告のようにも受け取れます。

 また、このぶどう園は神さまの園であり、本来住まうところ、神殿、幕屋、つまりそれはわたしたち自身とも言えるかもしれません。わたしたちの毎日は、時間も、労力も、お金も、全てが神さまから与えられたものなのです。その「一部」を、「収穫の分け前」を主人たる神さまにお返ししていけたらと願うのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.7.26説教要約 ヨハネ 1:10-14「幕屋を張られた」         井上創牧師

「わたしたちの間に宿られた」と書かれている言葉は、「わたしたちの間に幕屋を張られた」とも訳せます。旧約聖書に度々描かれる「幕屋」とは、十戒の石版が入った箱を収めておくテントのような建物で、祭司が祈りを捧げるための場所です。それでは、幕屋ではどのような祈りが捧げられるのでしょうか。そこでは、犠牲の献げものが捧げられ、罪の赦しを願うとりなしの祈りが捧げられます。  イエス・キリストは、わたしたちの罪が

 
 
 
2026.7.12説教要約 ヨハネ 4:46-54「帰りなさい」           井上創牧師

イエスさまのなさる奇跡のわざはどれも素晴らしいもので、感動を覚えます。しかし、わたしたちはこころの奥底では「それならば、なぜわたしの祈りは聞かれないのか」「今こそ奇跡が必要なのに」と思ってはいないでしょうか。そういうわたしたちの思いを知って、イエスさまは「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と、わたしたちの深い罪を憐れんでくださいます。  そして、息子のために家に来てほし

 
 
 
2026.7.5説教要約 Ⅰコリント 3:10-22 「あなたがたが神殿」        井上創牧師

わたしたちはイエス・キリストを土台にして、それぞれに建物を建てていきます。これらは金でできていたり、藁でできていたりしますが、それらは優劣がつけられるものではありません。たとえ、わたしたちが日々積み上げていく証しが燃え尽きて、消えてしまったように見えても、それがキリストを土台としているのであれば、火によって精錬されたもののように、その救いは確かなものとして残るのです。  なぜなら、わたしたちが建て

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page