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2026.6.7説教要約 マタイ 7:7-12 「求めて求められて」        井上創牧師

7月12日
読了時間: 2分

 わたしたちは「自分がされて嫌なことは人にもしない」という言葉をよく聞きますし、それを心がけている人も少なくないでしょう。一方で、「人にして欲しいことを自分も人にする」ということについてはどうでしょうか。つい、余計なお世話になるかもしれないと躊躇してしまってはいないでしょうか。これが日本の伝道が縮こまっている一つの要因かもしれません。わたしたちはもしかしたら、最初から諦めて門を叩こうとさえしていないのではないでしょうか。

 イエスさまは、門を叩き続けた方でした。叩くほど頑なになる人々に対して、さまざまなたとえ話を交えながら、どんな機会をも用いて、語りかけ続けました。そしてイエスさまは、過剰なほどの愛によって、自覚のないわたしたち人類の罪を一身に背負って、十字架の上で身の代となってくださったのです。

 わたしたちが欲しがったのはパンや魚であったかもしれません。欲しがったものが与えられないと、こどものように駄々をこねるわたしたちに、天の父は既にもっとよいものを与えてくださっているのです。不信と絶望にさいなまれるわたしたちのために、昔から用意されていたもの。それは「わたしはいつまでもあなたと共にいる」という約束です。

 この約束を確かなものとするために、教会には聖霊が与えられています。その聖霊に促され、導かれてわたしたちは世の人々の門を叩くことができたらと願うのです。

 
 
 

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