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2026.5.3説教要約 マタイ 11:25-30「幼子を待つ」           井上創牧師

5月24日
読了時間: 2分

 イエスさまは神の国の秘密について、神さまはそれを「幼子のような者にお示しになりました」と語ります。知恵ある者、賢い者が自分の力で難局を乗り切ろうとするのに対して、この「幼子のような者」とは、親を信頼する子どものように、神さまを信頼して委ねる者を意味しているのではないでしょうか。そのような者たちにはこの世界で起こるさまざまな事柄の中に神さまの御業を見出すことができるのでしょう。

 この世界には自力を頼みにして疲れたり、思い悩むことで自らの背に重荷を載せてしまう人がたくさんいるのでしょう。イエスさまはそのような人たちを招き、「わたしの軛を負いなさい」と呼びかけ、幼子のようになるのを待っておられます。

 くびきは二頭の牛に荷を引かせるときに用いられます。一般的にはこの時、荷運びになれたベテランの牛と、まだなれない牛とを組ませるそうです。なれた牛が御者の言うことをよく聞き、ペース配分などすることで、荷をスムーズに運ぶことができるのです。

 しかし、イエスさまは「わたしの軛」とわざわざ言っておられます。これは一般の軛とは違うということなのではないでしょうか。イエスさまは何でもわかっておられるのですが、柔和で謙遜な方であるので、むしろ自分勝手に歩もうとするわたしたちに寄り添い、共に歩もうとしてくださるのです。その姿勢にわたしたちも学び、安らぎを得ることができたらと願うのです。

 
 
 

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