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2026.5.24説教要約 使徒 2:14-24 「霊を注ぐ」            井上創牧師

7月12日
読了時間: 2分

 ペンテコステの日、ペトロは預言者ヨエルの言葉を引用して、「終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ」と語りました。この終わりの時とは、個人の死や、やがて来る終末を意味しているのではないのでしょう。「霊が注がれる時」、即ち弟子たちに約束の霊が降り、教会が生まれ、洗礼を受ける人たちが起こされていく。しかも、それは霊による洗礼です。この日から、終わりの時代、聖霊の時代、教会の時代が始まりました。

 霊が降ると何が起こるか。そのこともまた預言されていました。「若者は幻を見、老人は夢を見る」。聖書が「こうなるであろう」と語るとき、語られる現在の状況は「そうではない」ことがあります。つまり、現実には「若者は幻を見ていない」ということです。幻とは神さまが与えてくださる未来への希望です。自分の行く先に神さまが全てを備え、招き、導いてくださると確信が持てずにいる。老人もまた、自分の残された日々を暗い気持ちで数えることに終始し、その一日一日に込められた神さまのご計画に心を向けようとしない。

 しかし、教会には霊が注がれたのです。だから教会は失望しません。洗礼を通して霊を注がれたわたしたちは、神さまの御心を尋ね求め、与えられたこの日を喜ぶのです。

 19節、20節は旧約の出エジプトの出来事を連想させます。小羊の血によって贖われ、雲の柱と火の柱によって守られ、導かれながら、わたしたちも主の名を呼び求めていきましょう。

 
 
 

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