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2026.5.10説教要約 ヨハネ 20:24-31「わたしの神よ」          井上創牧師

5月24日
読了時間: 2分

 イエスさまが復活して弟子たちのところに来たとき、トマスだけがその場にいませんでした。後になって、復活したイエスさまに会ったと仲間たちに聞かされたトマスは、「わたしは決して信じない」と口にします。しかも、「この指を釘跡に入れ、この手をそのわき腹に入れてみなければ」と。

 これは本気で言っていたわけではないでしょう。実際にそういうことがしたかったのではなくて、自分のいないときに来たイエスさまに腹を立てたからなのか、自分だけ仲間はずれにされて悲しかったからなのか、少し意地悪な気持ちからこのように言ってしまったのでしょう。

 わたしたちが幸いなとき、わたしたちがイエスさまを信じるのは難しくありません。しかし、深い悲しみの中にいるときには、実際にイエスさまのしるしを見ないと信じられなくなったりするのです。イエスさまはそういうトマスのために、もう一度来てくださいました。信じることができないと言うトマスの心の内を知ってくださったのでしょう。

 このようにして、復活なさったイエスさまは、「自分だけこんな目にあうなんて」と悲しむ人や、「神さまはわたしを忘れてしまったのだろうか」と疑う人のところに、今も会いに来てくれるのです。今日まで2000年もの間、復活したイエスさまはたくさんの人に会いに来てくれました。その一つ一つの物語は聖書の中に収まらず、世界中にあふれ出ているのです。

 
 
 

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