top of page

2026.4.5説教要約 マルコ 16:1-8 「転がされた石」          井上創牧師

4月19日
読了時間: 2分

 復活の日の朝、墓に向う婦人たちの心にあったのは、「イエスさまの遺体に油を塗ること」と「墓の石をどうやってどけるか」ということでした。しかし、墓につくと石はどけられ、遺体は消えていました。そして、白い衣を着た若者から「イエスさまは復活した。ガリラヤでお目にかかれる」と聞くのです。

 それまでは目的としていたことがあり、またその困難さに頭を悩ませていたのですが、それらが新しい目的によって書き換えられる。それが復活の一つのメッセージなのでしょう。

 もしかしたら、わたしたちの心にも重いフタがされているかもしれません。それはいかにも開けるのが困難であるかのようにも思えます。場合によっては、自分で封じてしまってもいるかもしれません。本当は自分の大切な一部であるはずなのに、それらをなかったことのようにして、深く沈めてしまっている過去、体験、出来事。

 しかし、イエスさまは、墓の中に葬られているそれらに寄り添い、共に横たわっておられます。そして、イエスさまは墓石を突き破り、ガリラヤへと出て行かれます。わたしたちがイエスさまの復活に与るとは、重いフタとなっていた石が転がされ、葬られていたはずのものに光が当てられ、それらが新しい目的のための道標となるということなのではないでしょうか。わたしたちも罪を赦され、新しい命に生かされた者として、イエスさまと一緒に自分たちのガリラヤへと出かけて行きましょう。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.7.26説教要約 ヨハネ 1:10-14「幕屋を張られた」         井上創牧師

「わたしたちの間に宿られた」と書かれている言葉は、「わたしたちの間に幕屋を張られた」とも訳せます。旧約聖書に度々描かれる「幕屋」とは、十戒の石版が入った箱を収めておくテントのような建物で、祭司が祈りを捧げるための場所です。それでは、幕屋ではどのような祈りが捧げられるのでしょうか。そこでは、犠牲の献げものが捧げられ、罪の赦しを願うとりなしの祈りが捧げられます。  イエス・キリストは、わたしたちの罪が

 
 
 
2026.7.19説教要約 ルカ 20:9-19 「ぶどう園の農夫」         井上創牧師

律法学者たちも祭司長たちも、自分たちは民衆の味方であり、神さまのために働いているのだという思いがあったことでしょう。だから、イエスさまのたとえ話を聞いたときには「わたしたちは農園の主人の僕としてたとえられている」と思ったのではないでしょうか。また、民衆はたとえ話の結末に気を取られ、ぶどう園の収益と権利が他者に奪われることに対して「そんなことがあってはなりません」と言っているのではないでしょうか。

 
 
 
2026.7.12説教要約 ヨハネ 4:46-54「帰りなさい」           井上創牧師

イエスさまのなさる奇跡のわざはどれも素晴らしいもので、感動を覚えます。しかし、わたしたちはこころの奥底では「それならば、なぜわたしの祈りは聞かれないのか」「今こそ奇跡が必要なのに」と思ってはいないでしょうか。そういうわたしたちの思いを知って、イエスさまは「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と、わたしたちの深い罪を憐れんでくださいます。  そして、息子のために家に来てほし

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page