2026.4.12説教要約 ルカ 24:13-35 「心は燃えていた」 井上創牧師
- 4月19日
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二人の弟子たちが、イエスさまが十字架につけられたこと、そして遺体が納められた墓が空であったことについて話し合っていました。二人はまだイエスさまの復活を信じられずにいたのです。そんな二人だからでしょうか。近づいてきた方がイエスさまだとは気が付きません。イエスさまは同道した二人に、聖書を解き明かしながら、十字架と復活の意味について教えました。それでも二人はそれがイエスさまだとわかりません。
日も暮れかけ、三人は宿を共にし、一緒に食卓を囲みます。そして、イエスさまがパンを裂いたとき、二人の目は開くのです。ところが、そのときもうイエスさまは見えなくなっていました。
不思議なことです。イエスさまだとわからないときには姿が見えて、わかった途端に見えなくなるのです。きっと復活されたイエスさまはそうやって、今もわたしたちの近くで働いておられるのではないでしょうか。誰かと聖書について話し合ったり、身の回りで起きた出来事の中に神さまの御心を探したり、食卓を一緒に囲んだり。そうしているところにイエスさまもいてくださるのでしょう。
たとえ見えないのだとしても、わたしたちはイエスさまがそこにいると感じることができます。「道で話しているとき、聖書の説明を聞いているとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」。聖霊がわたしたちの心を熱く燃え立たせてくれるのならば、そのところにはイエスさまもまた共におられるのです。
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