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2026.3.22説教要約 エフェソ 2:1-10「神の賜物」     井上創牧師

  • 4月5日
  • 読了時間: 2分

 パウロは「あなたがたはかつては死んでいた」と言います。死が過去の出来事であるかのように言うのは、この死が肉体の死や社会的な死を意味しているのではないからでしょう。

 「あやまちと罪のために死んでいた」ということは、ここで言われている罪とは、間違いや失敗などのあやまちと区別されているということでしょう。罪とは、聖書においては「的を外す」という意味です。ここから、罪とは神さまの御心から外れること、永遠なる存在から切り離されて存在しようとすること、つまり永遠の命を失うことだと理解されるようになったのです。

 イエスさまの復活は、すべてのことが死で終わらないということ。どれほど絶望的な状況の中にあっても希望はあるのだということ。そして、すべてのことは死によって虚しくされないのだということをわたしたちに教えてくれています。

 人間はイエスさまを十字架へと追いやり、神さまとの関係を完全に断ちました。しかし、それを超えてなおもわたしたちに手を伸ばす一方的な神さまの慈しみを、聖書は愛と呼びます。

 わたしたちが「天の王座を継ぐ」とは、王である神さまの御心を世に体現していくということです。一方的に愛するというイエスさまによって表された「善い業」のために、わたしたちは造られました。それを神さまは前もって準備しておられたのですから、わたしたちは何も恐れず、構えずに、ただ今日というこの日を御心に身を委ねて生きることができればと願うのです。

 
 
 

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