top of page

2026.3.8説教要約 ヨハネ 15:1-11「まことのぶどうの木」       井上創牧師

3月22日
読了時間: 2分

 イエスさまは言いました。「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である」。農夫である神さまはこのぶどうの枝の手入れをなさいます。実りの多い房を残して、痩せた房を切り取り、場合によっては枝ごと取り除きもします。しかし、枝は自分でどの房を大きくしようかと迷う必要はありません。どれを育てて、どれを切り取るかという判断は農夫の仕事です。わたしたちがすることは、ただ木につながっていることだけです。あとは自然と実りを得ることができるはずです。

 ここでは、「イエスさまにつながる」ということと「愛にとどまる」ということが同じこととして語られます。この世界は神さまの愛で満ちています。木の根が水を吸い上げて木の全体にまでそれを巡らせるように。葉が日光から栄養を得て、それによって木の全体を生かすように、わたしたちはイエスさまを通して、世界に満ちる神さまの愛を全身で受けて生きることができるのです。

 わたしたちが実りを得たいと願うのであれば、それが自分を立派に飾り立てるための実りであってはなりません。「互いに愛し合う」という神さまの言葉がわたしたちの内に響き渡り、それが願いとなり、望みとなり、祈りとなるとき、神さまはそれをかなえてくださるのです。だからわたしたちは、愛にとどまりながら「イエス・キリストの名を通して」祈るようにと勧められているのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.7.26説教要約 ヨハネ 1:10-14「幕屋を張られた」         井上創牧師

「わたしたちの間に宿られた」と書かれている言葉は、「わたしたちの間に幕屋を張られた」とも訳せます。旧約聖書に度々描かれる「幕屋」とは、十戒の石版が入った箱を収めておくテントのような建物で、祭司が祈りを捧げるための場所です。それでは、幕屋ではどのような祈りが捧げられるのでしょうか。そこでは、犠牲の献げものが捧げられ、罪の赦しを願うとりなしの祈りが捧げられます。  イエス・キリストは、わたしたちの罪が

 
 
 
2026.7.19説教要約 ルカ 20:9-19 「ぶどう園の農夫」         井上創牧師

律法学者たちも祭司長たちも、自分たちは民衆の味方であり、神さまのために働いているのだという思いがあったことでしょう。だから、イエスさまのたとえ話を聞いたときには「わたしたちは農園の主人の僕としてたとえられている」と思ったのではないでしょうか。また、民衆はたとえ話の結末に気を取られ、ぶどう園の収益と権利が他者に奪われることに対して「そんなことがあってはなりません」と言っているのではないでしょうか。

 
 
 
2026.7.12説教要約 ヨハネ 4:46-54「帰りなさい」           井上創牧師

イエスさまのなさる奇跡のわざはどれも素晴らしいもので、感動を覚えます。しかし、わたしたちはこころの奥底では「それならば、なぜわたしの祈りは聞かれないのか」「今こそ奇跡が必要なのに」と思ってはいないでしょうか。そういうわたしたちの思いを知って、イエスさまは「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と、わたしたちの深い罪を憐れんでくださいます。  そして、息子のために家に来てほし

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page