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2026.2.1説教要約 エフェソ 2:11-22「平和のかなめ石」         井上創牧師

2月8日
読了時間: 2分

 エフェソの教会でも、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の対立があったようです。手紙の著者とされるパウロは、こういった対立の解消のためには「キリスト」こそが鍵になると考えたのでしょう。

 パウロはキリストが「肉において」「十字架を通して」、二つのものを一つにされると説きました。肉と罪とは不可分であるというのは、他の手紙にも記されるパウロの考え方です。罪とは、的外れ。神さまの御心から離れてしまうことを意味しています。わたしたち人間は、己の正しさに固執し、他者を顧みないことで、神さまの御心を忘れ、周囲を敵視してしまいます。

 当時の律法も、お互いを大切にするようにという神さまの思いから離れ、規則と戒律によって敵意を生み出していました。

 2章の3節と4節には、神さまの怒りを受けるべき者であったわたしたちを、肉をまとった御自分の身を裂いて贖い出してくださったのが神の子イエス・キリストだと言われています。このようなキリストの愛と平和のかなめ石によって、二つであったわたしたちは一つとされていくのではないでしょうか。

 国籍や宗教・教派によって対立を煽ろうとする力がはびこる今の世において、神さまのみが正しさを知る方であると信じ、己の正しさから離れて、敵意から遠ざかっていくことで、わたしたち教会の群れも、違いを超えてデコボコのままに組み合わされて、成長していくことができたらと思うのです。

 
 
 

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