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2026.1.4説教要約 ルカ 2:22-40「待ち望んだときが来た」      井上創牧師

1月11日
読了時間: 2分

 クリスマスの出来事とは、わたしたちが当たり前と思っている世界に、神さまの思いが斜めに切り込んでくる出来事です。年を重ねて子を産むことができないと言われていたエリサベトの懐妊に始まり、無名の少女であったマリアに救い主の母となることが告げられます。イスラエルの王となる赤ん坊が家畜小屋に生まれ、そこには貧しい羊飼いたちが招かれます。

 そのクリスマスの物語が続いています。二人の老人が救いのしるしを目にします。わたしたちの思いの中に、「年を取ると一線を引いて役目を終える」ということが当たり前になってはいないでしょうか。昨今のこの国においてはことさら、「得かどうか」「機能的かどうか」「役に立つかどうか」ということにばかり重きが置かれているように思えます。しかし、神さまはクリスマスにこの二人を用いられるのです。二人は、この赤ん坊が救い主なのだと証言をします。大切な役割です。

 シメオンは「安らかに去る」ことを喜んでいるようです。この世界に絶望を抱いたり、自分の力に限界を超えていたから、「去る」ことを喜んでいるのではありません。シメオンは「救いを見た」ことで「安らか」な気持ちになることができたことを喜んでいるのではないでしょうか。シメオンがこの喜びのときを待ち続けることができたのはきっと聖霊が彼にとどまっていたからでしょう。わたしたちも神さまが備えてくださっている「そのとき」を聖霊の助けによって待ち望んでいましょう。

 
 
 

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