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2026.1.25説教要約 ヨハネ 7:14-24「イエスさまの教え」        井上創牧師

2月1日
読了時間: 2分

 イエスさまの話を聞いた人々は驚いて言います。「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」。当時の学問は高名な先生の弟子となって修めるものだったようです。そのため、誰をも師と仰いでいない無名のイエスさまは、学問を修めていないと思われたのです。

 もちろん、イエスさまは神さまとして聖書のすべてのことに精通していたことだろうと思います。しかし、この一言は、もしかしたら聖書を知るためには必ずしも学問は必要ないのだという意味なのかもしれません。

 イエスさまは「愛し合いなさい」と教え、弟子たちの足を洗われました。そして十字架の上でその身をささげてくださいました。神さまがわたしたち一人一人を大切に思っていてくださる愛が、イエスさまを通してわたしたちに届けられています。

 わたしたちは聖書やキリスト教について学びたいという思いを持つかもしれません。しかし、それが自分の「知りたい」という欲求を満たそうとするものであれば、それは「自分の栄光を求める」ことなのではないでしょうか。そうして得た知識は、他者を裁く道具として用いられる危険があります。

 わたしたちが聖書から学びたいのは「愛されている」ということ、「愛する」ということ。他者を豊かにしたいと願うとき、わたしたちは「学ぶ」よりも深く聖書を「知る」ことができるのではないでしょうか。

 
 
 

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