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2026.1.18説教要約 ルカ 2:41-52「過越の三日後」  井上創牧師

1月26日
読了時間: 2分

 イエスさまの十字架と復活の出来事は過越祭のときにエルサレムで起こりました。今回も同じように、過越祭のときにエルサレムで、まだ幼いイエスさまの身に起きた出来事です。

両親に連れられてエルサレムに登ってきたイエスさまでしたが、帰りの道で両親はイエスさまを見失ってしまいます。二人は慌てて、「いるであろう」と思っているところを探しますが見当たりません。もう戻らないのではないだろうかという予感が、焦りと悲しみを生み、後悔と絶望が二人を襲ったことでしょう。

 しかし三日後、イエスさまはみつかります。おそらく、両親がこれまで見たことのないような姿で。それは、学者たちを呻らせるほどの知識と知恵を持った、子どもを、人を超越したような姿だったのでしょう。

 イエスさまは自分は「父の家」にいると言います。これは、エルサレムの神殿が神さまの家だと言っているのではないでしょう。壊された神殿を三日で建て直すと言われたイエスさまは、御自身を罪と共に十字架で滅ぼし、三日目に復活されました。イエスさまこそが生ける神殿なのです。イエスさまのおられるところが、父なる神さまの家なのでしょう。

 マリアは起こったことの意味がわかりませんでした。しかし、十字架と復活によってすべてが明かされるまで大切に心に留め続けたのです。わからないことを、そのままに。神さまが明かしてくださるまで、わたしたちも待ち続けられたらと思うのです。

 
 
 

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