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2025.12.7説教要約 ルカ 1:39-56「主がおっしゃったこと」

2025年12月18日
読了時間: 2分

 マリアは何故エリサベトを訪ねたのでしょう。ひとつには、天使が告げたできごとを確かめたかったからかもしれません。実際にエリサベトが懐妊している姿を目にして、自分の身に起こることを確信したかったのでしょう。あるいは、マリアは不安だったのかもしれません。これから起こることを一人で受け止めることができず、自分と同じ境遇に置かれている人と一緒にいることで安心したかったのでしょう。

さて、もうひとつ。もしかしたらマリアはエリサベトのことが心配だったとは考えられないでしょうか。初産であるマリアも多くの心配を抱えていたことでしょう。しかし、初産であり高齢出産でもあるエリサベトを思ったとき、マリアはいても立ってもいられなくなったのではないでしょうか。

 マリアの讃歌は、前半部分で一人の少女である自分が見出されたこと、魂が救われ、満たされたことを喜び歌っています。そして、後半部分は神さまの愛と平和の御業がこの世界に及んでいく様子を歌います。霊は人を導く力を持ちます。生きる意味を与えられ魂が満たされたマリアは、霊の導くままにエリサベトのもとへと平和の使者として遣わされていったのでしょう。

 わたしたちは不安であるからこそ、不完全であるからこそ、同じように不安の中にある人のところへと遣わされていくのです。そして、そこで互いの存在を喜び合う関係が霊によって回復され、新しい命に満たされる者となっていくのです。

 
 
 

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