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2025.12.28説教要約 マタイ 2:13-23「御心が地でも行われますように」  井上創牧師

1月4日
読了時間: 2分

 現在の研究では、預言書が書かれたのは、預言に記されている出来事よりも後の時代だと考えられています。つまり、預言者たちは過去に起こった出来事を、自分たちなりの神学的解釈を加えて、未来を予見しているかのようにして描いたのです。これは、今を生きる人々に、「より深く神さまのみ声に聞き従うものとなるように」との教訓を残すためでもありました。

 預言者たちが伝えようとしている大きなテーマは二つ。一つは、神さまの思いから離れるときわたしたちにとって望ましくないことが起きるだろう、ということ。これは実際に聖書の民が体験した、国の滅亡と捕囚の出来事の原因が自分たちの不信仰であったという解釈に基づいています。

 そして、もう一つのテーマは、神さまを信じて、依り頼む人たちは救われる、ということ。これも、古くは出エジプトの出来事に始まり、捕囚からの解放に至るまで、聖書の民が体験した救いの出来事に基づいています。

 預言書には受け止めがたいようなことも語られています。しかし、かつて神さまがどんなときでも聖書の民と共にあったように、理解を超えた苦しい現実を生きるわたしたちとも共にいてくださるという約束が実現したのがイエスさまの出来事だと、マタイは重ねて言っているのです。預言書は、「人には推し量れない天における御心が、それでも地においても行われるように」と祈る者たちが救われてきたという証の書なのです。

 
 
 

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