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2025.12.14説教要約 マタイ 1:21-23「ともにおられる」  井上創牧師

1月4日
読了時間: 2分

 イエスさまが生まれる前にヨセフのところに来た天使は、「子どもにイエスと名付けなさい」と言います。イエスとは、「神は救う」という意味です。当時のユダヤの人々は、支配者であるローマ帝国の圧政に苦しみ、律法に縛られて息苦しい生活をしていました。民は救いを求めていたのです。しかし、この救いは、武力によって支配者を倒すことや、律法やルールを取り払うということによって為されるのではありません。それでは、神さまは民をどのようにして救おうとなさっていたのでしょうか。

 イエスさまにはもうひとつインマヌエルという呼び名が与えられます。意味は、「神は我々と共におられる」というものです。この呼び名を通して、神さまがわたしたちといつも一緒にいてくださることを、これから生まれる子どもは一生をかけて表していくことが告げられたのです。

 どうにもならないと思えるような状況の中で、一人であると感じるとき、わたしたちはとてもつらい気持ちになります。そんなとき、一緒にいてくれる誰かがいるなら、それはとても心強いことです。ましてそれが、わたしたちをつくり、この世界に置かれた神さまであれば尚更です。

 神さまが一緒にいてくださることを知って、信じることで、「わたし」は「我々」になります。教会の中で、救われる約束を確かなものとして証し合い、互いの存在を喜び、神さまを賛美する群れとなることができるのです。

 
 
 

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