聖書の民はモーセに導かれてエジプトの国から逃げ出しました。行く先は荒れ野でした。荒れ野には水も食べ物もありません。民は不平不満をモーセにぶつけます。「これならエジプトにいた頃の方がましだった。あそこでは肉もたらふく食えた」と。
この民の姿はわたしたちと似ているかもしれません。わたしたちも日々の生活の中で何か不自由で理不尽なことがら(エジプト的な支配)に縛られているのではないでしょうか。そして、そういった価値観から一度は解き放っていただいても、何か自分に都合の悪いことが起こると、かつての生活を思い出して自ら虜に戻りたいと思ってしまう。そういうわたしたちの弱さを神さまはご存知で、何とかしようとしてくださいます。
聖書の民の求めは受け入れられ、夜にはうずらの肉が与えられ、朝には白く輝くマナが与えられました。民はこれによって満たされました。大切なのは、このマナが毎日与えられたということです。神さまは民のその時々の不平や求めに、その度に応じて答えてくださるということではなく、いつでも共にいるというしるしとしてマナをくださったのではないでしょうか。
イエスさまは御自分を天からのパンであると言われました。これは、空腹の時に食べ物が与えられる。困ったときに助けてもらえるということではなく、神さまがいつもわたしたちと共にいて、生ける御言葉であるイエスさまがいつも語りかけてくださっているということなのではないでしょうか。
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