top of page

2024.9.22説教要約 ローマ 14:13-23 「自分の決心」

  • fujimikougenchurch
  • 2024年10月2日
  • 読了時間: 2分

パウロは、互いに裁き合わずそれぞれの在り方で神さまのために働くことを勧めた上で、13節に「むしろ」と続けます。「各々があるがままで神さまに認められていること」から、更なる発展へとわたしたちを導こうとしているのではないでしょうか。

 わたしたちは何を食べてもいいのです。しかし、共に食べる者たちがその食卓において、違和感や、不信感、場合によっては怒りを覚えてしまうとすれば、それはわたしたちが望むところではないはずです。招いた者の心の内に、裁きの罪を引き起こし、その人を滅びに導くことを、わたしたちは避けなければなりません。「そしりの種」は、わたしの尊厳や評判を損ねるかもしれませんが、それだけではなく「そしる者」にとって滅びの道でもあります。わたしたちが自由を許されていることに喜ぶあまり、隣人へのなすべき配慮を怠るのであれば、そこにキリストの愛があると言えるでしょうか。「神が人となった」キリストの愛に倣い、わたしたちも隣人のために変化していきましょう。

 わたしたちのあらゆる行いには決断が伴います。それが他者への愛に基づいていると疑いなく言えるのであれば幸いです。もしかしたら、どこか心にやましさを感じていたり、配慮が不十分であるように思うこともあるかもしれません。しかし、それで進めなくなるくらいなら、罪の結果をすべてキリストに委ねて、闇を光に変えてくださる聖霊の働きを信じて、決心したそのままに歩み出していけたらと願うのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2025.1.12説教要約 ルカ 17:11-19 「いやされた人」 

重い皮膚病を患っている十人に、イエスさまは「祭司たちのところへ行って、体を見せなさい」と言います。当時は、このような病気にかかって治ったとしても、祭司たちがそれを確認し許可しなければコミュニティーに帰ることはできない決まりになっていました。十人は、自分の体が治るのを待たずに...

 
 
 
2025.1.5説教要約 ヨハネ 16:16-24 「イエスを見る」

イエスさまは弟子たちに「しばらくするとあなた方はわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」と言いました。これは、イエスさまの復活について言っているのでしょうか。それとも、再臨についてでしょうか。...

 
 
 
2024.12.29説教要約 ルカ 2:28-35「新しく始まる命」

人によっては、地上で生きる日々は苦しみと虚しさに満ち、いっそ死んだ方がましだとさえ思えるときもあるかもしれません。シメオンは幼いイエスさまと出会い「今こそ安らかに世を去ることができる」と喜びました。シメオンは年を重ねて生きなければならないことに疲れを感じていたから、去ること...

 
 
 

Comments


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page