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2024.9.1説教要約 ローマ 13:8-14「光の武具」

わたしたちの本性は善でしょうか、悪でしょうか。聖書においては、創造されたそのままのわたしたちは「極めてよかった」と神さまから言われる存在でした。しかし、罪が入った後では、ルターが言うところの「罪を犯すことしかできない」存在になったと考えられています。善性を呼び戻すために、法や互いを思いやる心によって、自らを律しようとする試みは旧約の時代において失敗に終わりました。

 ローマ3章に、神さまは「罪を見逃す」ことが「正しく裁く」ことよりも優先することを、十字架のキリストをもって示してくださったとあります。罪とは相手に対して負い目を負うこと。借りを作ることです。見逃してもらう。見逃してあげる。愛し合うことによってわたしたちは和解へと導かれていくのです。

 ところで、パウロは「眠りから覚める時が近づいた」「日が近づいた」と言い、「日中を歩むように」と言います。今はまだ「神の国は近づいた」のであり、「ここが神の国」なのではなく、わたしたちは「義となった」わけではなく、「義と認められた」だけだというのがパウロの考え方なのでしょう。この微妙な言い回しは、終末を遠くへ追いやり、今を怠惰に生きようとするキリスト者に緊張感をもたらす配慮でもあると言えるでしょう。

 わたしたちはまだ罪の身を抱えながら、しかしその本性に従って闇の行いに身を包むのではなく、隣人を思う涙と流された血に染められたキリストの光の衣を身に帯びていきましょう。

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