top of page

2024.9.15説教要約 ローマ 14:1-12「生きるも死ぬも主のもの」 

  • 2024年9月22日
  • 読了時間: 2分

ローマの教会において、ユダヤ人キリスト者は律法を知らない異邦人キリスト者を批判して裁き、異邦人キリスト者はユダヤ人キリスト者を「信じて委ねることのできない信仰の弱い者」と侮っていました。このような分裂に心を痛めたパウロは、食物規定や安息日を守る者も、守らずに自由にする者も、神さまのためにそうしているということ。それぞれの生き方や在り方によってキリストを現すのだということを説きました。

 終わりの時、わたしたちは神さまの前に立ち、隣人の不十分であったところを申し述べるのではなく、ただ自分自身のことを話すのです。しかも、わたしたちの為した諸々の罪の結果については、既にキリストにおいて清算されていることから、わたしたちが口にするのは、ただ聖霊によって導かれ支えられながらこの身をもって為した「神さまのわざ」を誉め讃えることだけなのでしょう。

 わたしたちが他者を侮るのは、「相手よりも自分の方が優れている」、あるいは「相手よりも自分の方が苦労している」といった比較をする場合ではないでしょうか。相手の方が不十分だという裁きが侮りを生むのでしょう。わたしたちは一人一人がそれぞれの年代や環境によって違う課題に向かい合い、違う苦労を背負って生きています。わたしたちがその苦難や忍耐や、ときには死を通してさえ、支え導いてくださる神さまの御力を証していくのだと、信じ合うことができますように。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.5.17説教要約 エフェソ 2:14-22「わたしたちは主の住まい」     井上創牧師

パウロはエフェソ教会の中に起こった対立・分裂の危機に対して、和解を勧めるためにこの手紙を書いたのでしょう。それでは、どのようにして異なる思いを抱く者たちが一つになることができるのでしょうか。  パウロの語っていることをよく聴いてみると、まず二つのものが一つになってから、「敵意を滅ぼす」「律法を廃棄する」「平和を実現する」という順番になっていることがわかります。敵意が消え、対立の原因になっている律法

 
 
 
2026.5.10説教要約 ヨハネ 20:24-31「わたしの神よ」          井上創牧師

イエスさまが復活して弟子たちのところに来たとき、トマスだけがその場にいませんでした。後になって、復活したイエスさまに会ったと仲間たちに聞かされたトマスは、「わたしは決して信じない」と口にします。しかも、「この指を釘跡に入れ、この手をそのわき腹に入れてみなければ」と。  これは本気で言っていたわけではないでしょう。実際にそういうことがしたかったのではなくて、自分のいないときに来たイエスさまに腹を立て

 
 
 
2026.5.3説教要約 マタイ 11:25-30「幼子を待つ」           井上創牧師

イエスさまは神の国の秘密について、神さまはそれを「幼子のような者にお示しになりました」と語ります。知恵ある者、賢い者が自分の力で難局を乗り切ろうとするのに対して、この「幼子のような者」とは、親を信頼する子どものように、神さまを信頼して委ねる者を意味しているのではないでしょうか。そのような者たちにはこの世界で起こるさまざまな事柄の中に神さまの御業を見出すことができるのでしょう。  この世界には自力を

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page