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2024.7.14説教要約 マルコ 5:21-43「信じたいきもち」

長い間病気だった女の人は、なぜ誰にも気づかれないようにイエスさまに近づいたのでしょうか。それは、当時はこのような病にかかっている人は「汚れている」と考えられていたからです。他の人たちがこの女の人をみつけたら、大騒ぎになってしまうことでしょう。しかし、それだけではないのでしょう。もし、イエスさまがどんな病気も治してくださる力をお持ちの方だと信じているのならば、堂々と人々の前に姿を現し、癒してもらえばよかったのです。隠れて近づいたということは、きっと心のどこかでイエスさまを信じ切れない思いがあったのではないでしょうか。信じ切れないけれど、信じたい。そんな気持ちでこの女の人は手を伸ばしたのでしょう。イエスさまはそういう「信仰」にも目を留めてくださり、「その信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われます。

 ヤイロも同じでしょう。彼は、イエスさまが娘の病を癒すことはできると信じていたとしても、命を甦らせることができるとまでは信じていなかったのでしょう。わたしたちはつい、神さまの力の働きに「ここまで」という限界を定めてしまいます。ヤイロもまた、人間の思いを超えて働く神さまの力を信じ切るほどの信仰は持てなかったのです。それでも、イエスさまはヤイロも家まで赴き、娘を生き返らせてくださいました。

立派な信仰でなくてもいいのです。イエスさまはわたしたちの「信じたい」という気持ちを大切にしてくださるのです。

 

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