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2024.6.9説教要約 創世記 32:23-31「絶対に手にいれたいもの」

2024年9月11日
読了時間: 2分

兄エサウのかかとをつかんで生まれてきたヤコブの名前の由来は、この「かかと」でした。足を引っ張り、相手の不意を突いてだまし取る。その名の通り、ヤコブは兄が受けるはずだった「祝福」を奪って故郷を逃げ去ります。

 やがて神さまから故郷へ帰るようにと言われるヤコブですが、当然彼の心の中には大きな不安と恐れが湧き上がりました。どうしても足が前に進まないヤコブの前に“神”が現れ、格闘が始まります。これはもしかしたら、彼の心象風景を表しているのかもしれません。「帰るように」と言う神さまに信頼しようとする気持ちと、「帰りたくない」という不安が戦っているのです。ヤコブは長い時間“神”と戦い続けます。彼がここまで粘ったのは「祝福を得たい」からでした。この「祝福」とは、「神さまがあなたを望み、あなたの存在を喜んでくださっている」という証しでした。父や兄を騙してまで手にいれようとした祝福を、ヤコブはこの格闘の果てにようやく自分自身のものとすることができたのです。その証しがイスラエル(神と戦う、神が支配する)という新しい名前でした。こうして、ヤコブは神さまの御心を信頼し、委ね、恐れを捨てて兄の前に進み出ていくのです。

 ここまでヤコブが欲した「祝福」をわたしたちは祝祷を通して毎週受けることができます。それはイエスさまがわたしたちに代わって十字架の上でわたしたちの罪と戦い、勝利し、祝福を手にいれてくださったからなのです。

 
 
 

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