top of page

2024.6.2説教要約 ローマ 9:30-10:4「律法の目標」

  • 2024年9月11日
  • 読了時間: 2分

パウロは10章の2節で、イスラエルは神さまに熱心に仕えてはいたが、「正しい認識に基づいていなかった」と言います。この「正しい認識」とは、「こうでなければならない」といった、律法における定まった基準のようなものについて言っているのではないでしょう。神さまの言葉である律法を、そのように一つの尺度として用いようとするところに、人間の義(=罪)があります。もしわたしたちが何かについて「これが正しい」と言うならば、もうそれはパウロの言うところの「正しい認識」からは逸れてしまっているのでしょう。

 わたしたちはもしかしたら、自分が熱心に思いを注いでいることについて、少し疑いを持った方がいいのかもしれません。自分の思いにだけ凝り固まっていないか。神さまの思いを聞く姿勢を失っていないか。改めて問い直してみましょう。

10章の3節には、「正しい認識」とは、神さまの義を知り、それに従うことだと書かれています。神さまの義は、キリストの十字架に表されています。十字架は、神さまに背き逆らい、神さまを捨てようとした者たちをも赦し、救おうとされる神さまの強い思いが結実したものです。この神さまの思いを信じて受け止めるところに「正しい認識」が生まれます。「あなたはそれほどまでに愛されていることを知って欲しい」という思いが届くようにと、イスラエルには律法が与えられました。だから律法の目標はキリストの十字架の愛なのです。

 

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.5.17説教要約 エフェソ 2:14-22「わたしたちは主の住まい」     井上創牧師

パウロはエフェソ教会の中に起こった対立・分裂の危機に対して、和解を勧めるためにこの手紙を書いたのでしょう。それでは、どのようにして異なる思いを抱く者たちが一つになることができるのでしょうか。  パウロの語っていることをよく聴いてみると、まず二つのものが一つになってから、「敵意を滅ぼす」「律法を廃棄する」「平和を実現する」という順番になっていることがわかります。敵意が消え、対立の原因になっている律法

 
 
 
2026.5.10説教要約 ヨハネ 20:24-31「わたしの神よ」          井上創牧師

イエスさまが復活して弟子たちのところに来たとき、トマスだけがその場にいませんでした。後になって、復活したイエスさまに会ったと仲間たちに聞かされたトマスは、「わたしは決して信じない」と口にします。しかも、「この指を釘跡に入れ、この手をそのわき腹に入れてみなければ」と。  これは本気で言っていたわけではないでしょう。実際にそういうことがしたかったのではなくて、自分のいないときに来たイエスさまに腹を立て

 
 
 
2026.5.3説教要約 マタイ 11:25-30「幼子を待つ」           井上創牧師

イエスさまは神の国の秘密について、神さまはそれを「幼子のような者にお示しになりました」と語ります。知恵ある者、賢い者が自分の力で難局を乗り切ろうとするのに対して、この「幼子のような者」とは、親を信頼する子どものように、神さまを信頼して委ねる者を意味しているのではないでしょうか。そのような者たちにはこの世界で起こるさまざまな事柄の中に神さまの御業を見出すことができるのでしょう。  この世界には自力を

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page