口でイエスが主であると言い表すというのは、単に「イエスハシュ」と唱えればいいということではありません。また、心で復活を信じるとは、単に「死人が生き返った」という出来事だけを信じるのでもありません。復活とは、死に代表されるような人間の力では抗いようもない絶望的な状況にあっても、神さまはそれを超える力によってわたしたちを救う手段をお持ちであるということです。神さまがそのような力をもってわたしたちを救うという約束が、イエスさまの復活に示されています。このことを信じる人は、失望することがありません。つまり、どんなときでも神さまがわたしを見捨てられることはないのだと信じて希望を持ち続けていくのです。
「イエスは主」であるという告白は、わたしたちに先立ち復活なさったイエスさまが、呼び求めるすべての者をこの希望の道へと導いてくださるということであり、わたしたちのこの告白は世の人々が絶望の淵に立たされるときには励ましの言葉となって響くのです。
わたしたちが宣べ伝えるのは、この希望の言葉です。使徒たちが宣べ伝え、欧州からアジア、新大陸と様々な道を経て、宣べ伝える者たちが運んできたものを、わたしたちは聞きました。次は、わたしたちが宣べ伝える番です。わたしたちの口や心に御言葉が寄り添い、聖霊が共にいてくれるとき、神さまが何をしてくださるのか。楽しみにしていましょう。
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