徴税人や罪人たちは、みんなから嫌われ、仲間はずれにされていた人たちでした。イエスさまはそのような人たちとも一緒に食事をしました。これを見て、ファリサイ派の人々や律法学者たちは不平を言います。そこでイエスさまは三つのたとえ話をなさいました。三つの話に共通しているのは、無くしていたものがみつかった喜び。そして、それを友だちにも一緒に喜んで欲しいという願いでした。
今日のお話は、三つ目のたとえ話です。いなくなっていた息子の一人が戻ってきたことをお父さんは心から喜びました。失われた家族がまた一つにされることの喜びは、わたしたちにもよくわかるのではないでしょうか。また、たとえ離れてしまっても、待ち続けて、みつけたら大急ぎで駆け寄ってきてくれる父が注いでくれる愛も、わたしたちには大きな喜びとして感じられることでしょう。徴税人や罪人たちも、イエスさまにみつけてもらって嬉しかったに違いありません。
一方で、その喜びの光景を一緒に喜べない人もいました。それが、このたとえ話のお兄さんであり、ファリサイ派の人々、律法学者たちです。イエスさまは、そのような人たちをも否定せず、招き寄せ、「お前といつも一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と全てを分け与えようとしてくださるのです。この父の愛に触れて、わたしたちも悲しむ者と共に悲しみ、喜ぶ者と共に喜ぶようになれたらと願います。
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