top of page

2024.4.7説教要約 ローマ 7:1-6「霊に従う生き方」

  • 2024年9月11日
  • 読了時間: 2分

 旧約聖書の歴史は、神さまと人、人と人とのすれ違いの歴史だったとも言えます。わたしたちは自己神格化、自己正当化の罪の末に、互いに通じ合えずに苦しむこととなったのです。特に、知恵の木の実から得た言語や文字は、それらを巧みに用いようとすればするほど、わたしたちの心の奥にある「思い」を覆い隠してしまいました。

 イエスさまは、律法を否定しようとされたのではなく、「神さまの思いはどこにあるのか」ということを伝えようとしておられたのではないでしょうか。そして、最終的にはその身を十字架の上で捧げることによって、神さまの思いが「愛」であることをお示しになりました(5:8)。

 聖書もまた文字によって書かれているために、残念ながら解釈の違いから教会は分裂を繰り返してきました。しかし、わたしたちが共有できる唯一の接点は、十字架に示された「神さまの愛」であるはずです。そこから、発せられる霊の力によって、わたしたちはもう一度つながりを取り戻していくことができるのではないでしょうか。

 パウロが「兄弟たち」と呼びかけるとき、それはローマ教会のユダヤ人キリスト者を指しているように読めますが、同じように「文字に従う古い生き方」に囚われていたわたしたちにも呼びかけているのではないでしょうか。わたしたちもまた、霊(愛)に従う生き方で他者に仕えるようにと勧められているのです。

 

 

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.5.17説教要約 エフェソ 2:14-22「わたしたちは主の住まい」     井上創牧師

パウロはエフェソ教会の中に起こった対立・分裂の危機に対して、和解を勧めるためにこの手紙を書いたのでしょう。それでは、どのようにして異なる思いを抱く者たちが一つになることができるのでしょうか。  パウロの語っていることをよく聴いてみると、まず二つのものが一つになってから、「敵意を滅ぼす」「律法を廃棄する」「平和を実現する」という順番になっていることがわかります。敵意が消え、対立の原因になっている律法

 
 
 
2026.5.10説教要約 ヨハネ 20:24-31「わたしの神よ」          井上創牧師

イエスさまが復活して弟子たちのところに来たとき、トマスだけがその場にいませんでした。後になって、復活したイエスさまに会ったと仲間たちに聞かされたトマスは、「わたしは決して信じない」と口にします。しかも、「この指を釘跡に入れ、この手をそのわき腹に入れてみなければ」と。  これは本気で言っていたわけではないでしょう。実際にそういうことがしたかったのではなくて、自分のいないときに来たイエスさまに腹を立て

 
 
 
2026.5.3説教要約 マタイ 11:25-30「幼子を待つ」           井上創牧師

イエスさまは神の国の秘密について、神さまはそれを「幼子のような者にお示しになりました」と語ります。知恵ある者、賢い者が自分の力で難局を乗り切ろうとするのに対して、この「幼子のような者」とは、親を信頼する子どものように、神さまを信頼して委ねる者を意味しているのではないでしょうか。そのような者たちにはこの世界で起こるさまざまな事柄の中に神さまの御業を見出すことができるのでしょう。  この世界には自力を

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page