パウロは霊に従って生きる者はみな「神の子」だと言います。子とは、親の財産を相続する者。そして神さまがくださる財産とは、「神の義」であることが3章22節からわかります。
神さまは、御子キリストの十字架の血による贖いをもって、わたしたちの罪を見逃してくださいました。誰よりも正しく裁くことのできるお方が、それをしなかった。それほどまでにあなたを大切に思っている。これが愛です。正しく裁くことより愛を選ぶ。これが神さまの示した「義しさ」なのです。
これによって命を得たわたしたちは、「死ぬはずの体が生かされる」ようになったとパウロは言います。これは、わたしたちが不死身や不老不死になったということではありません。また、単に死後の復活のことを言っているだけでもないでしょう。霊に従って歩むことで、わたしたちの肉体が死によって朽ちて滅びるという「結果」は変わりません。しかし、今日という日を生きる「目的」が変わるのです。
霊の思いを知るためには、イエスさまの思いを知る必要があります。イエスさまがどのように生きられたか、また死なれたか。そこから神さまの愛がわかり、霊の思いを知ることができます。そして、その思いを心の深いところに受け止めることで、わたしたちは死を目的地として歩むのではなくて、この肉体を御心のまま、どのように用いていただけるかを楽しみに、今日という一日を喜びの内に生きていくことができるのです。
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