top of page

2024.3.31説教要約 ローマ 6:15-23「罪からの解放」

世の中では、何か悪いことをするのが「罪」だと言われています。しかし、パウロが言う「罪の奴隷」とは、わたしたちが悪い行いや考えに執着しているということではないようです。それが良いことであれ、悪いことであれ、わたしたちが自分の思いに囚われてしまっていること。特に、律法のような生活の決まり事や常識のようなもので自分や他人を縛り付けて、身動きができなくなってしまっていることを、「罪の奴隷」と呼んでいるのでしょう。

 それでは、その罪から解放されて「義」に仕えるようになるとはどういうことなのでしょうか。パウロによれば神さまの義とは、「イエス・キリストの十字架の死と引き換えに、わたしたちの罪を見逃すこと」(3章)でした。何が正解なのか、効果的で効率的なのかという考えから離れること。それは、間違った愚かなことのようにも見えます。しかし、はらわたが引き裂かれるような憐れみの心によって、罪人であるわたしたちのために、全知全能の神さまがその命を与えてくださる。このことに「愛」が示されているとパウロは言います。(5章)

 聖なる生活とは、俗世間から切り離された清廉潔白な生活ではありません。むしろ、律法によって塗りたくられた白い墓のような正しさから飛び出して、赦して愛する、義に仕える生き方こそが、神さまが御自分の手元に引き上げて喜んでくださる、わたしたちの目指す聖なる生活なのではないでしょうか。

最新記事

すべて表示

2024.11.17説教要約 ローマ 16:1-21 「従順の上に」

パウロはひとつの警告すべき事柄について述べています。それは、教会に不和やつまずきをもたらす人々についてでした。パウロはこの手紙の中で、分裂しそうになっている教会に和解の道を示そうとしていたはずではなかったでしょうか。しかし、ユダヤ人キリスト者も異邦人キリスト者も、自分の信念...

2024.11.10説教要約 ルカ 9:28-36 「これはわたしの子」

イエスさまこれからエルサレムに向い、そこで「多くの苦しみを受け、殺され、三日目に復活する」ことを予告しました。この話をした後、イエスさまと弟子たちが山に登って祈っていると、イエスさまの顔が変わり、衣が輝き始めました。弟子たちが見ると、二人の人がイエスさまと語り合っていました...

2024.11.3説教要約 コロサイ 2:20-3:4 「キリストと共に」

パウロは読者に対して、「あなたがたは死んだ」「復活した」と、それがまるで既に起こったことのように言います。彼独特の表現です。彼は終末におけるキリスト再臨の約束が確かなものだと信じているので、死や復活などの未来の出来事が今まさに身に起こっている出来事として受け止めているのです...

Comments


bottom of page