top of page

2024.3.31説教要約 ローマ 6:15-23「罪からの解放」

  • 2024年9月11日
  • 読了時間: 2分

世の中では、何か悪いことをするのが「罪」だと言われています。しかし、パウロが言う「罪の奴隷」とは、わたしたちが悪い行いや考えに執着しているということではないようです。それが良いことであれ、悪いことであれ、わたしたちが自分の思いに囚われてしまっていること。特に、律法のような生活の決まり事や常識のようなもので自分や他人を縛り付けて、身動きができなくなってしまっていることを、「罪の奴隷」と呼んでいるのでしょう。

 それでは、その罪から解放されて「義」に仕えるようになるとはどういうことなのでしょうか。パウロによれば神さまの義とは、「イエス・キリストの十字架の死と引き換えに、わたしたちの罪を見逃すこと」(3章)でした。何が正解なのか、効果的で効率的なのかという考えから離れること。それは、間違った愚かなことのようにも見えます。しかし、はらわたが引き裂かれるような憐れみの心によって、罪人であるわたしたちのために、全知全能の神さまがその命を与えてくださる。このことに「愛」が示されているとパウロは言います。(5章)

 聖なる生活とは、俗世間から切り離された清廉潔白な生活ではありません。むしろ、律法によって塗りたくられた白い墓のような正しさから飛び出して、赦して愛する、義に仕える生き方こそが、神さまが御自分の手元に引き上げて喜んでくださる、わたしたちの目指す聖なる生活なのではないでしょうか。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.3.1説教要約 ルカ 19:1-10  「救いがこの家を訪れた」      井上創牧師

ザアカイは木に登ってまでもイエスさまを見たいと願いました。一つ前の物語、目の見えない人が周囲の制止を振り切ってイエスさまを求めて叫び続けた心情と重なるように思えます。ザアカイもまた自分の在り方に揺らぎを覚え、心の奥底では助けを求めていたのではないでしょうか。  ザアカイはイエスさまから「あなたの家に泊まりたい」と言われたときに喜びます。地位の高い人や高名な人が集落を訪れたとき、その人を泊めるのはそ

 
 
 
2026.2.15説教要約 ヨハネ 11:17-27「このことを信じるか」       井上創牧師

亡くなったラザロの姉妹であるマルタは、「死者が終わりの日に復活する」という教えを知っていました。「イエスさまが神さまに願うことは、かなえられる」ことも知っていました。おそらく、マリアも知っていたでしょう。しかし、実際に兄弟の死を前にしたとき、彼女たちの心は悲しみに支配されていました。そこでイエスさまはマルタに問うのです。「信じるか」と。  わたしたちは証拠を見せられたり、証明してもらえれば、安心し

 
 
 
2026.2.8説教要約 ネヘミヤ 2:11-20「神さまのご計画」         井上創牧師

ネヘミヤは故郷であるエルサレムの町が荒廃していることを聞いて悲しみました。かつて大国によって攻め滅ぼされたときのまま、城壁も門も壊れた状態で放置されているというのです。  ネヘミヤは仕えていた王から帰国の許可をもらい、更には復興のための支援を受けて、故郷へ向いました。彼はしかし、用心深く一人で町に入り、修復が必要な箇所の視察も夜の内に行いました。復興を良く思わない人たちが町の内外にいたからです。

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page