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2024.3.24説教要約 ローマ 6:1-14「罪に対して死ぬ」

2024年9月11日
読了時間: 2分

 洗礼とは、水の中を通り新たな命に生きる者となることです。これは、キリストが十字架の死によって罪に支配された体を滅ぼされて、復活の命に生きる者となったことと重なります。人は一度死ねば、二度とは死ねません。洗礼によって、キリストの十字架の死に与り、わたしたちの罪の体は滅ぼされるのです。

 罪の支配とは、わたしたちが「己の正義」に心を奪われることと似ています。これによって、わたしたちは互いを否定し、疑い、恐れ、本来神さまが与えてくださっているはずの関係を歪ませ、壊してしまうのです。エフェソの信徒への手紙2章には、キリストの十字架がこのようなわたしたちの間にある「敵意という隔ての壁」を打ち壊し、滅ぼされたと書かれています。こうして、わたしたちは新たに「義のための道具」として五体を用いていく者になるのです。

 それでは、義とは何だったでしょうか。3章23節からの箇所においては、神さまがキリストの十字架の血の贖いによって「人の犯した罪を見逃して、神の義をお示しになる」と書かれています。絶対的な正義を唯一ご存知の方が、己を曲げて罪を見逃したのです。5章8節には、わたしたちの罪のために十字架にかかり死んでいったキリストの姿が「愛」だと宣言されています。この愛を知る者、新しい命に生きる者、赦されて在る者として、神さまの恵みに生かされて、義のための道具として、新しい年度の歩みを始めていくことができたらと願うのです。

 

 
 
 

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