top of page

2024.2.18説教要約 ローマ 4:1-12 「赦された者は幸い」

  • 2024年9月11日
  • 読了時間: 2分

パウロは先に「神の義」はキリストを信じる信仰によって与えられると説きました。そして次に、その具体例として、旧約の時代に生きた、ユダヤ民族の父であるアブラハムの物語をわたしたちに思い出させようとしています。

 アブラハムはかつて「あなたの子孫は天の星のようになる(増える)」と神さまから約束をしてもらい、それを信じました。創世記の15章に、そのアブラハムの信仰を神さまが義としてくださったとあります。その後、17章においてアブラハムは神さまを信じる証しとして割礼を受けるのです。

 パウロが言いたいのは、この順番です。アブラハムは神さまを信じて義とされ、その後に割礼を受けたのです。割礼を受けたから義とされたわけではないのです。この「割礼」という言葉によって表されているのは、「信仰」に対して、わたしたちの「行い」全般だと言うことができるでしょう。ここでもパウロは「行い」ではなく「信仰」によって義とされるという点において、律法の行いを重要視するユダヤ人も、律法を知らない異邦人も同じなのだと説いているのです。

 ただし、だから「行い」を怠ってもいいということではありません。働く者には当然報酬が支払われます。「割礼」が神さまを信じる証しであったように、わたしたちの「行い」は神さまを証しするためのものであり、対価として支払われる報酬は、「御国に生きる喜びと恵み」なのです。

 
 
 

最新記事

すべて表示
2026.3.1説教要約 ルカ 19:1-10  「救いがこの家を訪れた」      井上創牧師

ザアカイは木に登ってまでもイエスさまを見たいと願いました。一つ前の物語、目の見えない人が周囲の制止を振り切ってイエスさまを求めて叫び続けた心情と重なるように思えます。ザアカイもまた自分の在り方に揺らぎを覚え、心の奥底では助けを求めていたのではないでしょうか。  ザアカイはイエスさまから「あなたの家に泊まりたい」と言われたときに喜びます。地位の高い人や高名な人が集落を訪れたとき、その人を泊めるのはそ

 
 
 
2026.2.15説教要約 ヨハネ 11:17-27「このことを信じるか」       井上創牧師

亡くなったラザロの姉妹であるマルタは、「死者が終わりの日に復活する」という教えを知っていました。「イエスさまが神さまに願うことは、かなえられる」ことも知っていました。おそらく、マリアも知っていたでしょう。しかし、実際に兄弟の死を前にしたとき、彼女たちの心は悲しみに支配されていました。そこでイエスさまはマルタに問うのです。「信じるか」と。  わたしたちは証拠を見せられたり、証明してもらえれば、安心し

 
 
 
2026.2.8説教要約 ネヘミヤ 2:11-20「神さまのご計画」         井上創牧師

ネヘミヤは故郷であるエルサレムの町が荒廃していることを聞いて悲しみました。かつて大国によって攻め滅ぼされたときのまま、城壁も門も壊れた状態で放置されているというのです。  ネヘミヤは仕えていた王から帰国の許可をもらい、更には復興のための支援を受けて、故郷へ向いました。彼はしかし、用心深く一人で町に入り、修復が必要な箇所の視察も夜の内に行いました。復興を良く思わない人たちが町の内外にいたからです。

 
 
 

コメント


0266-62-2205 (FAX同)

日本、〒399-0211 長野県諏訪郡富士見町富士見3679

©2019 by 日本基督教団 富士見高原教会. Proudly created with Wix.com

bottom of page