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2024.2.11説教要約 ローマ 3:21-31「義をお示しになる神」

  • 2024年9月11日
  • 読了時間: 2分

キリストへの信仰によって、わたしたちには神の義が与えられるとパウロは言います。これは、「信じる」というわたしたちの行動を条件として、神さまが「救う」ということではありません。人間の行い(律法の実行)によってではなく、神さまはご自分の自由な意志で動かれます。

まず神さまが何かをしてくださいます。それを「素晴らしいことだ」と信じて、受け止めるとき、わたしたちは自分の人生が輝かしいものだとして生きていくことができるようになるのでしょう。信仰とは、神さまのしてくださることを喜びとして受け入れることなのです。

それでは、神さまは何をしてくださったのでしょうか。25節に「義を示した」とあります。何が正しいことかを知っておられる神さまは、その正しさに基づいてわたしたちを裁くことがおできになります。しかし、神さまはそれらを見逃すことを選ばれたのです。罪を贖い、赦すことが「義しい」選択なのだと、独り子であるキリストを贖いの供え物とすることで、示してくださったのです。

人はみな罪の中にあるのであれば、人はみなキリストの贖いによって赦されています。その恵みを信じて、受け入れる人には「神の義」が与えられます。つまり、信じて生きる人には、「赦して生きる」ことを自由な意志から選択する生き方が与えられていくのです。

 
 
 

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