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2024.12.8説教要約 ルカ 1:26-38、46-55 「しあわせなマリア」 

2024年12月20日
読了時間: 2分

 マリアはどこにでもいる普通のマリアでした。アブラハムのように「すべての人の父」と呼ばれる偉大さも、モーセのように神さまの思いを人々に伝える力も、ダビデのような勇敢さや賢明さも持ち合わせていませんでした。しかし、そのようなマリアのもとに神さまからの使いが来ます。

 「おめでとう、恵まれた方」。そう言われてもマリアは戸惑うばかりです。神さまの言葉は預言者を通して伝えられ、御使いはしかるべき立場の人にこそ訪れると思っていたからです。一体このようなわたしに何を告げるために天使は来たのだろう。まさか何か恐ろしいことではなかろうか。

「あなたの産む子は世を治めるでしょう」。そう言われても、わたしは王の一族でもなければ、名家の出身でもない。裕福な豪族でもなければ、大商人の娘でもない。仮に結婚の相手が立派な人であるとすれば、その人との間に生まれる子どもも偉大な人になるかもしれない。しかし、まだわたしは結婚もしていないのです。

天使は告げます。「神さまにできないことはありません」。そこでマリアの目が開かれます。自分が何者であるか。どのような血筋、家の者であるか。結婚する相手が誰なのか。そういうことを超えて、神さまは「何でもないわたし」に目を留めて、用いてくださるのだ。ただすべてを神さまに委ねさえすればいい。こうしてマリアはしあわせのあまり歌い出すのです。

 
 
 

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