パウロは読者に対して、「あなたがたは死んだ」「復活した」と、それがまるで既に起こったことのように言います。彼独特の表現です。彼は終末におけるキリスト再臨の約束が確かなものだと信じているので、死や復活などの未来の出来事が今まさに身に起こっている出来事として受け止めているのです。
しかし、これらの出来事は確かにわたしたちに起こりました。それが「洗礼」です。洗礼は古い命が水の中に沈み、滅びた後、新たな命へと生まれ変わることを意味しています。しかも、それはキリスト共にある死、共にある復活です。
キリストはその友のために命を捨てました。キリストと共に死んだわたしたちは、そのような死を得ることが約束されているのです。わたしたちは最後まで友のために祈る者となりました。また、キリストと共に復活したわたしたちは、肉体の死を命の終わりと考えることなく、どのような状況下においても絶望せずに、その命を輝かせていけることが約束されているのです。
既に肉体の死を経験したわたしたちの先達もまた、洗礼における死と復活を経て、キリストと共に新たな命に生きる者とされました。今なお肉体をもって地上での日々を送るわたしたちも同じキリストの命に生きる者とされています。肉の目には隠されたかのように見えるわたしたちの大切な人たちの命も、キリストの再臨を通して見れば、神さまの御腕の中で同じ命を生きているのです。
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