イエスさまこれからエルサレムに向い、そこで「多くの苦しみを受け、殺され、三日目に復活する」ことを予告しました。この話をした後、イエスさまと弟子たちが山に登って祈っていると、イエスさまの顔が変わり、衣が輝き始めました。弟子たちが見ると、二人の人がイエスさまと語り合っていました。それは、モーセとエリヤでした。この二人はその人生において苦難と孤独に耐えた人たちでもありました。31節に、イエスさまの最期について話していたとありますから、この二人はこれから十字架への道を歩もうとするイエスさまにとって最も近い理解者であったとも言えるのかもしれません。
イエスさまの旅はここで折り返しになります。ここまでたくさんの奇跡や威厳のある教えによって、たくさんの人たちがイエスさまに付き従ってきました。しかし、ここからイエスさまは弟子たちにさえ見捨てられるような、孤独の中へと向われることになるのです。イエスさまは大勢の支持者に囲まれる人気者への道を取らず、ただ一人で死ぬ道を選ばれました。それは、この世界で寂しさや虚しさを感じているわたしたちと同じ痛みを負い、共にいてくださるためでした。
そのイエスさまに臨んだ「これはわたしの子」という声が、洗礼を通してわたしたちにも注がれます。どれほどの罪を重ねたとしても、わたしたちがどんな人間であるとしても、この声はわたしたちを捕え、離すことはないでしょう。
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